日刊米中毒 No.270(終)

一日中家にいていろいろと作業。こんな生活でも、早寝早起きをしないとだんだん体調が悪くなってくる。特に冷房を利かせすぎるとよくない。というわけで、冷房なしの環境で本を読んだりした。

さて、昨年11/19から続けてきたこの日刊ブログ、今日で最終回ということにしようと思う。なぜやめようと思うかというと、書くことがなくなってきたから。始めたころはこの日刊に書くべきことというか、ここの守備範囲のイメージが自分の中にあったのだが、最近はなくなってきた。ついつい「今日も暑かった」みたいなことで埋めようかと思ってしまう。天候のことを書くようになったらおしまいだと思っているのだが。
開始から1日も休まずに(1度だけ、忘れていて後で付け足したこともあったが)続けてきたので、ちょうど1年になるNo.365までは続けたいと思っていたが、あまり惰性でやらない方がいい。No.300で終わるというのも考えたが、それでもあと1ヶ月続けないといけない。こういうふうに、あと1ヶ月がしんどいと思うようになったらいったん終わった方がいいと思う。No.256でやめておいた方がきりがよかったか。しかし今日もちょうど終戦記念日。きりがいいといえばいい。
代わりにこれから本館・別館ブログの更新を少し増やすとするか。

終戦記念日ということでちょっと書いておくと、自分のこれまでの人生を振り返って、時代環境としてとにかくよかったのは戦争を経験しないですんだこと(もちろんこれからのことはわからないが)。第二次世界大戦が終わってから20年近く経った頃に生まれてきた私の世代は幸運だったと思う。私の両親は子供の頃に戦争があって、物のない時期を経験しているし、祖父母の世代は徴兵されたりしている。これからも日本は絶対に戦争をしてほしくないし、世界的にも戦争のない世の中が実現してほしいものである。
自分より後の世代のことを考えると、残念ながら今の子供たちは私の世代ほど幸運だとは思えない。もちろん今の方が豊かにはなっている。私が子供の頃はテレビ番組は録画できなかったし、もちろん携帯電話もなかった。しかし、これから日本はよくなっていくんだという雰囲気は感じ取っていたし、「日本、なかなかやるやんか!」と思う場面も多かった。
今の日本はその逆。いろんな面で下降の一途をたどっている。この状況で子供の世代に何を残してやれるのか? 非常に心許ない。3月の震災が起こった時、これは第二次世界大戦以来の大きな出来事であるとともに、この悲惨な災害を機に(それこそ第二次世界大戦後のように)日本は復活できるかも、と思ったのだが、今のところそうはなっていない。特に原発事故の影響で、政治家も日本国民も変な方向を向いていると思う。原発をどうするかという問題自体を別にしても、まっすぐに復活に向かうという気運ではなくなってしまった。これではいけない。みんなで何とかしなければならない。
…と、66年前に日本が戦争に負けた日であるとともに復活の始まりであったはずの今日、思うのだった。

今日の主食は白玄白。昼は玄米を炊いた。夜は外食でそばの定食。そばとうどんはどちらも捨てがたい。その時の気分でどちらを食べるかが決まる。

ドラえもんにも最終回があった(「さようならドラえもん」はいい話だった)が再開された。同じように(?)、このブログも気が向いたらまた書くかも。
日刊ブログというスタイルを教えてくださったごりゅごさん、そして読んでくださった方々、ありがとうございました。
(了)

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